~新morichの部屋 Vol.17 ビジネスエンジニアリング株式会社 羽田雅一 氏~

福谷学氏(以下、福谷):いよいよ2025年です。「新morichの部屋」がスタートしましたが、今年の抱負はありますか?

森本千賀子氏(以下、morich):見てください。私、いつもと違いませんか?

福谷:そうなのです。お聞きしたいなと思っていました。

morich:今日1日、いろいろな人に「どうしたの?」と言われました。

福谷:なにかあったのですか?

morich:話すと3時間コースになりますので、これについてはまた別途とご説明したいですね。今年は赤色から紫色に、進化させていきたいと思っています。融合とも言えます。

福谷:赤色は封印ですか?

morich:封印はしません。融合です。

福谷:morichさんは、2025年は進化をしていきながら、いろいろチャレンジもしていくということですね。

morich:より社会に向き合おうと思っています。

福谷:かっこいいですね。

morich:年始に決めました。

福谷:なにか心変わりがあったのですか?

morich:本当にいろいろな出会い、奇跡的な出会いがありました。天から呼ばれています。この話をすると、ややこしくなってしまいますね。

福谷:3時間くらいかかってしまいますね。

それでは、2025年の「新morichの部屋」をスタートします。ここからまた毎月、始めていければと思っています。

morich:始まりますね。楽しみです。

福谷:今日も素敵なゲストをお呼びしています。

morich:そうなのです。シャワーを浴びまくりたかったです。

福谷:morichシャワーというのがありますよね。

morich:ありますね。1週間、その社長のことを浴びまくるのです。

おそらく社員の方やご本人、もしかすると奥さまよりも社長のことを知っているような感覚で、いつもはここに来るのですが、今日は意外と情報がありませんでした。

福谷:珍しいですね。

morich:大学卒業後の情報しか得られず、幼少期が謎に包まれています。大学までは経歴が謎のため、今日は本当に楽しみです。

福谷:今日のお客さまは、なんとプライム市場に上場されています。「morichの部屋」にプライム市場のお客さまがいらっしゃるのは初めてですね。

morich:初めてです。

福谷:私たち運営陣も、非常に緊張しています。広報の方も張りついています。

morich:少し視線が怖いです(笑)。

福谷:そのような状況の中で、スタートしたいと思っています。それではmorichさん、さっそくお客さまのご紹介をお願いします。

羽田社長の自己紹介

morich:ビジネスエンジニアリング株式会社、代表取締役社長の羽田雅一さまです。よろしくお願いします。

福谷:よろしくお願いします。

羽田雅一氏(以下、羽田):羽田です。よろしくお願いします。

morich:ようこそ、いらっしゃいませ。簡単に自己紹介をお願いします。

羽田:自己紹介ですか?

morich:この後お話をうかがいますので、軽いもので大丈夫です。

羽田:ビジネスエンジニアリングという会社は、みなさまあまりご存知ないと思います。製造業、もの作りを行う会社のシステムを専門に作っている会社です。

お客さまは製造業ですので、国内はもちろん、工場が海外にある場合もあります。そのため、海外にもお客さまがいます。ITの企業ではあるものの、そのような少し変わったというか、ニッチな企業です。

morich:私はリクルートに25年ほど在籍していたのですが、途中、ITチームのグループマネージャーに就いて、もともと羽田さんがいらっしゃった会社を担当していました。

福谷:そうなのですか?

morich:ITチームのメンバーが担当していました。

福谷:morichさんは、担当されている会社が多すぎます。だいたい担当されていますよね。

morich:そうですね。5,000社を超えますね。

福谷:羽田さんにお会いしたことはなかったのですか?

morich:お会いしたことはなかったです。

福谷:それでは、今日はいろいろと深掘りさせていただければと思っています。

morich:楽しみにしています。

羽田:よろしくお願いします。

morich:まず馴れ初めとして、幼少期はどのようなお子さんだったのかをうかがいたいです。

福谷:その前に、プレゼントをいただいています。

morich:なにか袋が見えますね。

羽田:森本さんがゲストについて非常に調べられるということで、私も「負けちゃいけないな」とたくさん本を読んできました。

morich:ええ!? 感動しました。

福谷:逆morichシャワーは初めてですね。

morich:うれしすぎます。

羽田:『カリスマヘッドハンターが教える のぼりつめる男課長どまりの男』を読んで、私は課長どまりだということがよくわかりました。

福谷:いやいや、そんなことはないです。

羽田:こちらの本に「のぼりつめる男はお土産のセンスが違う」と、聞き捨てならない言葉が記載されていました。

morich:本当にそうなのです。

羽田:これは「お土産を持ってこい」ということだなと、勝手に解釈しました。

morich:さすがです。そこに付箋を貼って、いろいろな人に本を渡しました。

羽田:当社の所在地は、JRでいうと東京駅と言っていますが、実は神田駅のほうが近いのです。東京駅のほうがかっこいいため、東京駅と言っています。

こちらは、神田の老舗のお煎餅屋さんのお煎餅です。今日この場には30人くらいいらっしゃいますよね。1人1枚くらいです。

morich:ありがとうございます!

羽田:森本さんにではなく、みなさまにです(笑)。

morich:お煎餅は大好きです。うれしいです。

福谷:ありがとうございます。

morich:センスが光っています。

羽田:やはり、先制攻撃をしないとダメだなと思いました。

morich:並んでいただいたのではないですか? お土産はそのあたりの百貨店で適当に買うのではなく、相手のことをイメージしながら買うことが重要です。実は私、チョコレートやマドレーヌなどよりもお煎餅が大好きなのです。どこかで読んで、知ってくださっていたのでしょうか?

羽田:ごめんなさい、そこまでは読んでいないです。フィナンシェなどは、つまみにならないですよね。今日はお酒を飲みながらということでしたので、考えました。

morich:ありがとうございます。本当にさすがです。

福谷:すばらしいです。初めての逆morichシャワーでしたね。

morich:大ファンになりました。

福谷:早いですね。

morich:単純なのです。

羽田:これで、ツッコミを緩くしてもらえたらいいなと思っています。

謎に包まれた幼少期

morich:いいえ、緩めません。幼少期からうかがいます。まず、ご出身はどちらですか?

羽田:出身は横浜です。幼少期について調べていただいたのに、情報が出てこなかったのですよね。

morich:まったく、1ミリも出てきませんでした。

羽田:人に言えない過去ではないです(笑)。普通の子どもでしたね。「社長になってやろう」「政治家になろう」などとは思っていませんでした。

morich:得意な教科はありましたか?

羽田:算数と数学は得意でしたね。いやらしいからあまり言わないのですが、「なんでみんなわからないのかな」と思っていました。

morich:それはすごいです。普通の子どもではないですよ。本当ですか?

羽田:理系全般ができたわけでも、全教科ができたわけでもなくて、物理や化学は大嫌いでしたが、中学、高校と数学は好きでした。

morich:家庭教師の先生の影響などはありますか?

羽田:ないです。文系は、たくさん覚えなくてはならないですよね。それが面倒くさかったというのもあります。

morich:スポーツには取り組まれていましたか?

羽田:スポーツは、高校まではずっとサッカーを続けていました。

morich:サッカーは意外でした。武道家のようなイメージがあるため、剣道などを想定していました。おそらく社員の中にも知らない方はいますよね。

羽田:誰も知らないと思います。言うほど上手だったわけでもないです。

morich:中学と高校ですか?

羽田:中学と高校ですね。

morich:サッカー少年ですね。

羽田:今ほどではないですが、サッカーは取り組んでいる子も多く、競争が激しいですよね。そのため大学ではサッカー部に入りませんでしたが、一応高校までは続けていました。

morich:中学と高校は部活動に参加されていたのですか?

羽田:部活動です。けっこう真面目に取り組んでいました。社員は誰も知らないと思います。

morich:確か大学は慶應義塾ですよね。

羽田:おっしゃるとおりです。40年くらい前です。

morich:横浜出身で慶應義塾なのですね。慶應義塾は高校からですか?

羽田:高校からです。

morich:それでは、高校受験をして入学されたのですか?

羽田:高校受験をして入りました。

morich:サッカー部で活動しながら、高校受験をして入ったのですよね。これは、なかなかできないですよ。

福谷:確かにそうですね。

羽田:高校のサッカー部で、ある程度強いところだとレギュラーになるのも難しいですよね。そのため、サッカーは高校までとして、それからは続けていません。

morich:部活動は真面目に取り組まれていたのですよね。

羽田:そうですね。

morich:おそらく私は、世代的に近いと思います。

羽田:いや、だいぶお若いと思います。カセットテープを知っていますか?

morich:もちろんです。鉛筆でぐるぐる巻いていました。

羽田:福谷さんはおそらくわからないと思います。

福谷:いやいや、わかります。

morich:きっと使ったことがないですよ。

福谷:カセットテープは使っていました。

morich:この頃の部活は非常にスパルタでしたよね。

羽田:それに、部活しかなかったですよね。

morich:「水飲むな」の世界ですね。そこで鍛えられたわけですね。

羽田:そうですね。

当時は「就職できない」と言われた理工学部数学科へ進学

morich:そのまま慶應義塾大学に入られたのですね。

羽田:数学が学びたかったため、理工学部の数学科に入りました。今はSTEAM教育などで数学もありますが、当時は「そんなところに行っても就職できないよ」と言われました。

あまり行かないですよね。選ばれるのは機械、電気、あとは管理工学などです。IT系は、まだあまりありませんでした。

morich:当時は機械系ですよね。理系だとメーカーに行く方がほとんどでした。数学科に進まれたのは、やはり数学が好きだったからですか?

羽田:そうですね。ほかができなかったという理由もあります。そして、一応入ったのですが、これがまた、なかなか大変でした。

morich:数学科というのは、どのような勉強をするのですか? 想像がつきません。

羽田:このような話を続けてよいのでしょうか?

福谷:ぜんぜん大丈夫です。

morich:もちろんです。

羽田:高校くらいまではそれなりに自信があったのですが、全国各地から数学自慢のような人が集まってきます。それで、計算はしないのです。

morich:どういうことですか?

羽田:微分や積分は一応計算しますよね。しかし、計算しないのです。

morich:頭の中で、ということですか?

羽田:EやAがひっくり返ったような記号が出てきて、この式で表されるものをN次元に持っていったらどうなるか、ということに取り組むのです。「N次元に行ったことないからわからないよ」となります。

morich:それはわからないですよ。

羽田:しかし、わかっている人はいます。ごく一部、1割程度だったとは思います。

morich:天才系、アインシュタイン系ということですか?

羽田:そこまでではないと思います。しかし、大学に入って1ヶ月半くらいで「これはいかんな」と感じました。

morich:違う世界だと気づいてしまったのですか?

羽田:もうダメだなと思いました。具体的には、専門になってからです。

morich:少し間違ってしまったということですか?

羽田:間違ってはいなかったです。レベルを一緒にしてはいけないのですが、そのへんで少しブイブイいわせていたくらいの人間がプロ野球に入っても、そのような人ばかりが集まってくるということです。

morich:1日中、式を解いているのですか?

羽田:いいえ、そのような人は1日中ではなくて、やはりわかるのです。ダメな人はずっと向き合っていてもダメですので、厳しい世界です。

morich:この間、共通テストの問題を見たところでしたが、まったく想像もつきません。

羽田:共通テストは解き方などを努力していけば解けると思いますが、そこから先があります。自分を見失っていたため、おそらく情報がなにもなかったのです。

競技用ヨットで青春を謳歌

morich:それでは大学生の時は、意外と記憶に残っていないのですか?

羽田:サッカーは続けませんでしたが、なにか運動したいと思い、ヨット部に入りました。ヨットは今も続けています。

morich:それは体育会ですか?

羽田:私は理工学部でしたので、体育会ではなかったです。ただし、わりとしっかりと取り組んでいる部でした。

morich:慶應義塾のヨット部と聞くと、加山雄三さんのような世界だと思ってしまいます。

羽田:だいたいみなさま、ヨットは優雅なものだと勘違いしています。

morich:日焼けをして、白いジャケットを着て、という印象です。

羽田:そうではないのです。競技用のヨットですので、本当に罵声、怒声が飛び交い、相手を邪魔して、性格が悪い人間が勝つようなスポーツです。

morich:そうなのですね。

羽田:オリンピックでは、日本もメダルを取っていましたね。

morich:そうですよね。本当に過酷なスポーツだと聞いています。

羽田:本当に優雅なものもありますが、私が取り組んでいたのは、競技用のヨットです。大学生はだいたい競技用で、体育会やそれに近いようなところでレースを行います。楽しむというよりも、ずっと合宿に行っているような感じでした。

morich:モテるイメージがとてもあります。

羽田:まず理工学部ですので、あまり女性がいないです。しかも合宿所でした。

morich:当時は、本当にいなかったですよね。

羽田:いないですね。今はすごく多いです。特に、数学は多いですね。

morich:女性が増えていると聞きます。当時、クラスには何名女性がいましたか? 1人、2人くらいですか?

羽田:3人、4人でした。数学科に行くともう少し増えます。

morich:少し普通ではないタイプの方でしたか?

羽田:それは偏見だと思います(笑)。そのようなことはないです。素敵できれいな女性ばかりでした。

morich:そうですよね(笑)。そうすると、出会わないですね。ヨット部の合宿だと海にこもりきりで、「男子」みたいな合宿ですか?

羽田:合宿所のような感じです。そのため、なにも出てこないのですよね。

数学での挫折が「インターネット」との出会いに

morich:ある種の青春ですよね。ヨット部は4年間続けていらっしゃったのですか?

羽田:数学はできないものの、一応理工学部ですので、3年くらいになると、なにかしないと卒業できません。ヨットを続けながら、「どうしようかな」と考えていました。ただし、勉強はもう難しいわけです。

morich:落ちこぼれちゃっていますよね。

羽田:ほぼ落ちこぼれてしまって、どうするかを考えていたのです。先ほど森本さんが言ったように、当時は機械や電気が中心で、まだ情報学部のようなものはほとんどありませんでした。国立大学の一部でようやくでき始めたぐらいでした。

morich:インターネットの普及前ですよね。

羽田:インターネットという言葉ができる前です。

morich:1995年に「Windows 95」が登場しましたよね。

羽田:たまたま私が入れた研究室が、日本で最初にインターネットを行った研究室でした。成績でそこにしか入れなかったのです。

morich:まだ注目されておらず、「なんだ?」という感じですね。

羽田:ぜんぜん注目されていなくて、これからという時でした。

morich:その当時は、インターネットと呼んでいたのですか?

羽田:インターネットという言葉はありましたが、通じませんでした。また、Webもなくて、ようやくメールがやり取りできる程度です。そこで初めてメールを送り、「海外のぜんぜん知らない外国人とつながるじゃん、すごい」と思いました。

morich:1990年あたりですか?

羽田:1985年、1986年、1987年くらいでしたね。

morich:まだ、まったく世の中にない頃ですね。Yahoo!もないですよね。

羽田:ぜんぜんないですね。インターネットという言葉が、その後にできたくらいです。この時、プログラミングやネットワークが、とてもおもしろいと感じました。

morich:それが目覚めたきっかけですか?

羽田:おそらくそのあたりから、少しずつ出てくる感じでした。

「生涯一プログラマー」を心に掲げて就職

morich:就職活動の際、当時はまだいわゆるIT企業がないですよね。

羽田:そうですね。ネットワークなど、先進的なことに取り組んでいた研究室ですので、みんなが行くのは、日本IBMさん、富士通さん、日本電気(NEC)さんといったメーカーです。しかし、そちらに行ってしまうとそれはそれで厳しそうだと思っていました。

その頃、パソコンやネットワークが出てきて、工場の中の機械やロボットをつなごうという動きがありました。今も「インダストリー4.0」などがありますが、その走りのようなことが起き始めていました。

コンピューターだけで勝負していく自信もなく、逆に、ずっとカチャカチャしているのもつまらなそうだなと思っていました。やはりモノが動くほうが、いけない言い方ですが、男の仕事だと考えていました。

morich:ロマンですよね。

羽田:ロボットなどを動かすほうがよいのではないかと考えて、最初に入ったのは、ファクトリーオートメーションを始めようとしていた会社でした。ここであれば、最初にできると思い入社しました。

morich:当時、大学院という道は考えなかったのでしょうか?

羽田:そこまで勉強もできていなかったため、考えませんでした。ただし、プログラムはとても好きになって、おもしろいと感じていましたので、早く働きたかったのです。

morich:エンジニアとして就職できるところを探したということですか?

羽田:そのとおりです。このあたりから少しずつ出てきますが、私はプログラムや開発を行いたいと考えていました。マネージャーなどの業務は本当に嫌だと思っていました。

ヤクルトの監督だった野村克也さんが、「生涯一捕手」とおっしゃっていましたが、私は会社に入る時に「俺は生涯一プログラマー」だと言っていました。コンサルタントやライン長、部長などにはならないと、固く心に誓っていました。

morich:本当ですか?

羽田:野村さんはぜんぜん一捕手ではなくて、いろいろなことに取り組まれていましたね。

morich:監督など、いろいろされていましたね。

羽田:最初の会社では、工場システムのプログラマーを7年から8年務めました。真面目に地味に取り組んでいました。

morich:コーディングを書いて、ということですか?

羽田:そうですね。好きでした。

morich:製造業向けの場合、プログラムはかなりの長さになりますか?

羽田:やはり条件がシビアですので、そうなります。モノが動いて壊してしまったり、落としてしまったりすることもあります。

ただし、工場はだいたい地方にあるため、地方に行ってお客さまに怒られたり、仲良くなったりしながら、夜は飲みに行くようなことを、7年から8年続けました。それはとても楽しかったです。

morich:どのような業種のお客さまが多かったのですか?

羽田:業種はいろいろです。製造業で工作機械もあれば、食品もありますし、もちろん自動車メーカーにも行きました。

morich:全国ですか?

羽田:全国です。愛知県、山口県もあれば、富山県もありました。

morich:常駐ですか?

羽田:そうですね。今ならリモートでできるのですが、当時はなかなか難しいものがありました。要件定義という最初のフェーズは、お客さまと膝を突き合わせて行っていました。

また、導入時も、導入して「はい、じゃあ終わり」というわけにいきません。2ヶ月から3ヶ月は運用支援のようなことを行っていました。それは非常に大変なのですが、そこでお客さまと仲良くなり、夜は飲みに行っていました。

morich:プログラマーとしての生活は楽しかったのですよね。

羽田:楽しかったですね。

「mcframe」誕生秘話

morich:そこから例えば、通常はスーパープログラマーの道、もしくはプロジェクトマネージャーの道もあります。一応私はキャリアの専門家でもありますのでうかがいますが、どちらの道に進んだのですか?

羽田:それが、どちらでもないのです。開発を行い、いろいろなところに行き、自動車や食品などいろいろなお客さまと出会って、楽しかったのですが、だんだん飽きていくのです。言葉が悪いですね。

オーダーメイドの服と同じで、全部寸法を測ってイチから作るため、そのお客さま向けによいものができるのですが、当然高く、時間もかかります。私たちからするとすごくよいシステムを作っても、そのお客さまの資産になって終わってしまうのです。

morich:渡してしまいますものね。

羽田:取り組んでいるうちにだんだん、よいものができたら「よりいろいろな人に使ってもらいたい」、また「うまく部品化したり、テンプレートにしたりできないかな」という思いが出てきました。

morich:それを提案されたのですか?

羽田:提案というか、勝手に4人くらいで作りました。現在、うちのビジネスの柱の1つになっている「mcframe」です。

morich:「mcframe」の原型ですか?

羽田:そうですね。別に誰かに作れと言われたわけでもなく、「いいですか?」と稟議を出したわけでもありません。

たまたま、ある食品メーカーのお客さまで、新しいテクノロジーを使って進めると予算とスケジュールが厳しいという案件がありました。リスクはもちろんあったのですが、フルスクラッチだと間に合わないため、このようなものを使う提案をしました。

するとお客さまから、「いいよ。よいものができたら、ほかのお客さまを紹介してあげるから売っていいよ」と言っていただきました。

morich:そのお客さまに納品したものを、ということですよね。

羽田:そうです。最初は楽しかったのですが、少し飽きてきたことと、その頃、私は30歳くらいでしたのでだんだん「楽をしたいな」とも思い始めていました。

作ってみたら、そのようなニーズがありました。ただし、勝手に作ったものなので売ることができません。売る人も誰もいませんでした。

morich:本社側としては、「勝手になにをやっているんだ」ということですね。

プログラマーから営業へ、「mcframe」のためのキャリアチェンジ

羽田:申請して「mcframe」という名前をつけました。ただし、当時はエンジニアリング会社にいたため、何百億円規模の工場建設がありました。当然営業の人たちは売らないですよね。

しかし、自分の作品ですので、やはりかわいいのです。生涯一プログラマーを掲げていましたが、誰も売ってくれないのであれば、営業の名刺をもらって自分で売ろうと考えました。

その頃は、エンジニアリング会社で自分から「営業をやりたいです」などと言う人はあまりおらず、「やっていいよ」と言われました。まさか自分が営業活動をすることになるとは思わなかったです。

morich:それは何歳の時ですか?

羽田:30歳あたりに作ったため、32歳か、33歳だと思います。

morich:32歳でプログラマーから営業になったのですか? これはけっこうなキャリアチェンジですね。

福谷:そうですよね。

羽田:リクルートさんだと絶対にお勧めしないですね。

morich:しないですね。そのような転職は勧めないです。しかし、適性があったということですよね。

羽田:最初は売れるかというと売れないですよね。エンジニア丸出しで、礼儀作法もなにもありませんでした。名刺交換の方法も、リクルートさんのようなところでしっかり習ったわけでもありません。

しかし、最初によいお客さまに恵まれたことと、そのような市場があったのだと思います。売るサイドはすごかったです。営業は最初の頃は私1人でした。しかも、プログラマー上がりの人間です。あとはみんなエンジニアです。

morich:そこそこ高いのですよね。

羽田:そこそこ高いです。最初の10社目くらいまでは実績もなかったのですが、「実績はないけど良さそうだから」というお客さまが何社かついてくれました。

morich:汎用性があったわけですよね。

羽田:おっしゃるとおりです。今では当たり前ですが、その頃ちょうどそのようなソフトウェアを部品化する技術が普及してきました。

morich:全部イチから作ると、お金もかかるし、時間もかかりますよね。

羽田:また、会計などとは違って、パッケージを持ってきてそのまま使うということは少ないです。

morich:カスタマイズして使うということですね。

羽田:そうですね。ビールを作っている製造業と車とでは、入力項目がぜんぜん違います。そこをある程度強化し、さらに、今では当たり前ですがソースコードをオープンにしました。

最初は、社内で「私と仲間が楽できればいい」くらいのテンプレートを想定していたのですが、ほかのSIerやパートナーから「テンプレートがあるらしいね?」「使いたいんだけど」と言ってくるようになりました。

その頃はまだ10人もいないチームで、私たちだけだとどうしても手が足りませんでした。そのような大手のSIerがわりと最初の頃についてくれたため、それなら私は売るほうに回ろうと思いました。

morich:東洋エンジニアリングさんとしても、SIerとの取引は初めてでしたよね。

羽田:初めてです。

morich:それでは口座を開け、座組も考えてということでしょうか?

羽田:口座を開けるのも「手形ってなんだろう」「なんだそれ、見たことないぞ」という状況でした。

morich:NTTデータさんもまだないですよね。

羽田:NTTデータさんはありました。

morich:そうなのですね。出てきた時ですね。

羽田:SIerの件もあり、私たちは開発に特化していくようになりました。

また、今の会社のもう1つの特徴として、私は直接関わっていないのですが、SAPを日本に最初に持ってきています。

morich:そうなのですか?

羽田:知らないですよね。

morich:知らなかったです。もう少し大きく書いておいてもよいと思います。

「mcframe」が軌道に乗り、スピンアウトを決断

羽田:古ければよいというものでもありません。ただし、ずっと製造業にこだわって取り組んできているため、SAPと「mcframe」のビジネスがわりと大きくなり、1999年に100人くらいでスピンアウトしたのが今の会社です。

morich:ちなみにスピンアウトの絵は、誰が描いたのですか?

羽田:あまり言ってしまうと怒られてしまいますが、親会社の業績が良かったり悪かったりで、1990年代はリストラなどがありました。

morich:バブル崩壊のあとですね。

羽田:そのようなタイミングで、私たちが出たいと言ったのです。

morich:ちょうどよいタイミングだったのですね。

羽田:「ちょうどよい」と私は言っていないですよ(笑)。建設業とITと、私たちは人をどんどん採りたかったのと、給与体系も変えたかったのです。

morich:バブル崩壊で、建設はいろいろ大変な頃ですね。

羽田:そうですね。そのようなこともあったので、有志100人くらいで脱藩したようなかたちです。しかしそれは、親会社にもちゃんと出資していただきました。

morich:半分は持っていますよね。

羽田:半分持っていただきました。

morich:スピンアウトされた時はどのようなタイトルだったのですか? 社長は別の方だったのですよね? 

羽田:もちろんです。私より4代くらい前の社長だと思いますが、勝手にチームリーダーなどを作っていたか、あるいは部長くらいになっていたかもしれません。

morich:プロダクトを作ったのは羽田さんを含め、もう少し下のメンバーですよね。

羽田:そうですね。

morich:東洋エンジニアリングの社長は派遣されてきたということですか?

羽田:派遣というか、社長になった方も含めて一緒に出たという感じです。

morich:それでは、1回辞めたのですね?

羽田:そうです。完全に辞めて、退路を断ちました。

morich:それなりの規模感のある会社を辞めるというのは、リスクとも言えますよね。

羽田:迷った人もけっこういましたが、SAPを最初に立ち上げたチームや私のチームは、前の会社を出て新しいビジネスを始めました。

morich:すみません、プライベートな話題に踏み込みますが、このような仕事をしていると、「嫁ブロック」というものがあると聞きます。私たちの競合の中でも、一番手強い相手です。

要は「起業したい」「転職したい」時に、奥さんが全力で反対するのです。上場会社のほうが収入は安定しますよね。「スタートアップとか起業とか、なにを言っているの?」ということはなかったのですか?

羽田:「ちょっと新しい会社を作ってそっちにいくから」と言ったら「ふーん」と言っていました。

morich:本当ですか? 理解のある奥さまですね。

羽田:あまり興味がないようです。

morich:いやいや、そんなことはないですよ。

羽田:その頃はまだ全部ではなく、「mcframe」というビジネスだけを見ていました。奥さんは当然そのことを知っていました。

立ち上げの5年くらいは大変で、家にもなかなか帰れず、残業で帰りが遅くなることや、お客さまと飲みに行ってしまうこともありました。

morich:奥さまにとっては「なにしているの?」という感じですね。

羽田:新しいビジネスに取り組んでいることは知っていたため、「それなら、いいんじゃない?」となったのだと思います。実際はそのように言ってはもらえず、「うん、あっそう」という感じで、なんのアクションもなかったですね。

morich:当時お子さんはいらっしゃいましたか?

羽田:いなかったです。

morich:それはまだ救いだったかもしれません。

福谷:奥さまからの信頼もあったのだと思います。

羽田:信頼というよりも「好きなことをやっているなら仕方がない」と諦めていたのだと思います。

morich:それでは障害もなく、ただ行くのみという感じですね。

羽田:最初に作った時は私も、ほかのみんなも同じだったと思います。もちろん「嫁ブロック」で迷われている方も、たくさんいたはずです。戻られた方も当然います。

morich:その時は何人くらいで始めることになったのですか?

羽田:100人です。

morich:スピンアウトする時に「ついてこい」とおっしゃって、多くの方がついてこられたのですね。

羽田:私が偉そうに「ついてこい」と言ったわけではありませんが、ITや外販のチームで「行こう」という話になりました。

もちろん元の会社もOKしている話で、株も半分持っています。これは2ヶ月、3ヶ月という極めて短期間で決めたことです。25年前の話ですので、今は30人くらいになっていると思います。

morich:当時のメンバーが30人も残っていらっしゃるのですね。

羽田:年寄りばかりです。このようなことを言うと怒られてしまいますね。今は当時のメンバーは少なく、中途採用とプロパーの新卒社員がほとんどで、まったく違う会社になっています。

morich:羽田さんは営業として出たのですか?

羽田:出た時は、「mcframe」の事業責任者のような感じでした。それなりの規模になっていました。

morich:当時、「mcframe」の事業だけで何人くらいいらっしゃいましたか? メンバーは営業と開発ですよね。

羽田:おそらく50人、60人です。がんばれば、大きいカラオケ屋に入れるくらいの人数でした。

morich:ほかにはSAPの事業や、導入支援ですね。

羽田:そうですね。あとは保守のチーム、ERP系などです。

morich:上場したのはいつですか?

羽田:上場したのは非常に早かったです。

morich:順調だったのですね。

羽田:最初のうちは順調でした。当時の市場名がパッと出てこないのですが、今で言うところの、スタートアップがいるグロース市場のような感じでした。マザーズ市場ではなかったです。

福谷:TOKYO PRO Marketですか?

morich:店頭市場でしょうか?

羽田:そのような感じです。そこから二部まではわりと早く進みました。そのあとは業績的にけっこう苦労して、プライム市場に上場したのはつい最近です。

morich:最初は製造業に販路を拡大していったのですか?

羽田:独立した当初はともかく、そのあとリーマンショックなどがあり、売上も営業利益も横ばいの状態が15年くらい続きました。

morich:リーマンショックが1つのきっかけですか?

羽田:そうですね。ほかには、私たち自身が子会社だったため、出資比率が変わるということもありました。今考えるとグループ会社で、腰が定まっていなかったのではないか、甘えていたのではないかと思います。

morich:覚悟を持って「独立してやる」ということではなく、「なにかあったら」と考えてしまいますよね。 

羽田:会社は辞めていたため、なにかあっても帰ることはできませんが、そのようなことです。以前の会社とは今も仕事上でお付き合いしていますが、資本関係は5年ほど前になくなりました。

morich:低迷が続いた時、組織はどのような状態でしたか?

羽田:リーマンショックのあとは、私たちだけではなく日本全体が大変でした。私たちの主たるお客さまである製造業では、IT投資は後回しとなり、最後に行われていました。今とは全然違いますよね。

morich:それが「空白の30年」と言われている原因でもありますよね。

不安の大きかったコロナ禍での社長就任も1年後に形勢逆転

羽田:私が社長になったのは2020年4月ですが、この時になにがあったのか、福谷さんはわかりますか?

福谷:なにがありましたか?

morich:4月は緊急事態宣言が発出されました。

羽田:そのとおりです。私が社長になって最初に出した指示は、「新入社員の入社式はやめる、来なくてよい」というものでした。

morich:周りから社長就任の打診などはあったのですよね。

羽田:言われたのは年明けくらいでした。前の社長に「はめられた。これはずるくないか?」と思いました。こちらが「もう1年やってよ」とお願いしても、「いやいや、もうお前に譲ったから」と言われました。

morich:確かに就任直前の頃は、多少きな臭くはありましたが「まあまあ、とは言っても」みたいな雰囲気でしたよね。

羽田:武漢で感染が確認された情報くらいでした。半年も経てば落ち着くと思いきや、リーマンショックの時と同じくらい、あるいはそれ以上に影響がありました。

morich:リーマンショック以上でしたね。

羽田:これは「やられたな」と思いました。

morich:入社式を中止されたのですよね。

羽田:「できるだけ来ないでください」と言いました。

morich:政府から緊急事態宣言も出されていました。しかし、当時は出社していましたよね。

羽田:出社していましたが、政府は「出てこないでください」と言うのです。

morich:急に在宅勤務に切り替える必要がありましたよね。

羽田:お客さまも来ないから仕方なかったです。しかし、マーケティングの担当者は対応が早くて、誰も来ないなら会議室をスタジオにしてしまおうと考えました。

morich:対応が早いですね。

羽田:今考えると、マーケティング責任者の趣味だったのです。

morich:動画を撮るご趣味があったのですね。

羽田:PA機材などを買い込み、会議室を2つくらいつぶしてスタジオにして、わりと早い時期からWebで配信を始めました。

リーマンショックの時はIT投資が真っ先に削られました。コロナ禍は、工場には最小限の人数しか行けず、ましてや海外には絶対に行けませんでした。

ここであまり言うと怒られるのですが、日本の製造業のトップの方の中には、10年くらい前まで、ITについて「俺は知らん。嫌いだ」と声高に、自慢げにおっしゃっている方がいました。このようなことを言う社長は、コロナ禍に絶滅しましたね。

morich:あっという間に変わりましたね。

羽田:変わりました。これまでは、トップの方や工場の現場は、ITを使うことに抵抗がある場合がありました。しかし、トップから現場まで「ITやデジタル技術を入れないと対応しきれない」と、お客さまの考え方も大きく変わりました。

morich:コロナ禍が追い風になったのですね。

羽田:今考えると追い風でした。しかし、1年くらいはずっと「はめられた」と考えていました。

morich:「なんて年に」という感じでしょうか? しかし、1年ほど経つと、デジタルやDXの話になり始めたのですね。

羽田:1年後くらいに、「もしかしたらIT需要は、逆にとても加速しているのではないか?」という実感がありました。

morich:手応えがあったのですか?

羽田:ありました。

morich:いろいろなところから打診が来たのですね。

羽田:引き合いもとても増えました。

morich:製造業はIT化がとても遅れているイメージがあります。レガシー産業の典型ですよね。トップもサプライヤーも、「ザ・工場」といったかたちです。

羽田:会計や人事は、システムを入れなければならないとわかりますよね。それではなぜ遅れていたかというと、日本の製造業の現場は優れていて、人間が中心でありながら、IT技術がなくても成立していたのです。

一方で、サプライチェーンがグローバルになっていくと、以心伝心も難しくなり、「俺の背中を見ろ」と言っても見ることができません。新型コロナウイルスの影響によって、国内でも見ることができない、話もできない状態になっていきました。

経済産業省のレポートでは「2025年の崖」と呼ばれていますが、このままだと日本企業はデジタル敗戦すると言われていました。しかし、私は楽観視しています。新型コロナウイルスの感染拡大によって外圧を受けたものの、デジタル化が急速に進みましたよね。

福谷:変わりましたね。

羽田:もの作りの技術や製品などのサービスはやはりすごいです。

morich:中小のサプライヤーの中でも、感度の高い経営者は一気に進められましたよね。

羽田:中堅・中小企業では社長が2代目や3代目に代替わりすると、「デジタル化していないなんて信じられない」とおっしゃいます。別の企業でお勤めされてから、自社に戻ってくると「信じられない、1年でデジタル化する」と考えるようです。

そのような意味では大きく変わってきました。したがって、私はぜんぜん悲観していません。

morich:コロナ禍がある意味できっかけになったということですね。ラッキーボーイです。そのタイミングから、業績も良くなっていったのですか?

羽田:そうですね。自分では「社長がよいから」だとは言いません。もちろん社員のがんばりもありますが、それ以外にも土壌ができているということが、一番変わったところだと思います。私たちだけではなく、パートナーも含めて非常に活況です。

morich:今はERPのSAPを含めた事業と、祖業の「mcframe」の事業を中心に行っているのですね。

羽田:もともとはSAPが最初で、そのあと「mcframe」を作りました。今はERPだけではなく、研究所のラボで使うようなものと、現場系で実行に近いところなどを提供しています。

そのほか、力を入れようとしているのはERP導入後の支援です。ERPには、いろいろなデータがたまっていきます。財務情報を速く正確に担保する、というのがERPの一番大事なところですが、ほかにもいろいろと貴重な情報が入っています。それらの情報を活用するお手伝いに、ビジネスをシフトしていきたいと思っています。

morich:AIやIoTなどですか?

羽田:AIも使っています。

morich:確かに、各社で非常に大きなデータ量を持っていますよね。

羽田:それらのデータをどのような粒度で見たらよいのか、判断するのは難しいですよね。経営者と現場では、それぞれ見たい粒度が異なります。最終的にはお客さま自身がいろいろと分析されるのですが、そのお手伝いをしていけるようになりたいと考えています。

morich:御社のエンジニアは何人くらいいるのでしょうか?

羽田:国内におそらく400名から500名くらいいます。間違っていたらすみません。

morich:世の中では、エンジニアの採用について困っている状況です。採用しても辞めてしまう問題もあります。御社はどのように対応していますか?

今日このお話を聞かれている方に、「本当に困っている人は手を挙げてください」と言ったら、みなさま手を挙げると思います。

羽田:私も困っています(笑)。おそらくIT企業も同じ問題を抱えています。さらに、製造業やサービス業でも内製化が進んでいます。

morich:人員を囲おうとしますよね。

羽田:私たちは、そこまで大きな売上規模の会社ではありませんが、キャラは立っていると思っています。製造業のサプライチェーンを中心に展開していることに加え、会社規模のわりには5ヶ国に現地法人を持っており、そこにも社員がいることが特徴です。

morich:オフショアではなくて、現地法人ですね。

羽田:現地法人です。現地で営業、デリバリー、保守を展開しています。志望してくれる人はいますが、とても苦労しています。

morich:しかし、辞めずにしっかり働かれているのですね。

羽田:離職率は低いと思いますが、人材にはある程度の流動性があるため、必ずしも低ければよいというものではありません。

morich:新陳代謝は一定数必要ですね。

羽田:辞めたとしても、「間違えたな」と思ったら戻ってくればよいのです。

morich:会社のトップがエンジニア出身ですので、気持ちがわかるというのは、従業員にとっても大きいですよね。

羽田:エンジニアであり、私も外へ出ました。このことを聞いた社員が「じゃあ辞めていいのか」と思ってしまうのはよくありませんね。

morich:いつでも相談に乗ります(笑)。

羽田:処遇や給与はもちろん、エンジニアにとっては働く環境が大事です。

morich:とても大事です。そのあたりはコロナ禍以降、ある程度整備されたのですか?

羽田:そうですね。今はリモートで、「半分は出社してください」と言っています。これは私の考えですが、リモートのみだとどうしても難しいところがあります。

morich:世の中の流れとしても、今はハイブリッドになっています。

羽田:アメリカのIT企業では逆にフル出社だと言っています。

morich:振り切っていますね。

羽田:そこはメリハリをつければいいと思っています。

morich:社長へ就任後に大きく変えたことはありますか?

羽田:けっこう変えました。

morich:例えばどのようなものですか?

羽田:中期経営計画のような経営計画の作り方や、人事的なこと、あとはオフィス環境です。オフィスに関しては私の指示というよりも、有志の社員が集まってタスクフォースを作りました。

「会社に来い」と言うのなら、仕事がしやすい、行きたくなるオフィスにしたいということでした。会社が主導したら絶対に選ばない、今風と言ってしまうとそれこそ年寄りのようですが、今風の小洒落た感じのオフィスになりました。それは経営陣の功績ではありません。

morich:ファシリティはとても大事です。

羽田:コロナ禍にリモート勤務になった時、会社の机や椅子ってとてもよいものなのだなとわかりましたよね。

morich:家のキッチンのテーブルや椅子と比べると、よいものなのだとあらためてわかりますよね。実は、この企画を一緒に始めた1人に近藤真生という者がいるのですが、彼の会社はそのようなことを行っています。宣伝しておきます。

羽田:それでは、今度ご提案ください。

morich:おそらく喜んで行くと思います。

羽田:ただし、オフィス環境の整備は来週終わる予定だったと思います。少しずつ変えている最中なのです。

morich:常にアップデートしているのですね。

羽田:そうですね。少しずつです。

morich:私の中では、SIerの会社はそういうものをあまり気にしないイメージがありました。

羽田:しかし、そのようなプロダクトを持っている会社では、最近みんなで雑談できるスペースや、コーヒーが飲めるスペースなどを設けるところが増えてきています。当社はそこまでは対応していないです。

morich:先ほどもおっしゃっていた、有志で「これやろうよ」「これやらせてください」など、ボトムから意見が出てくる環境なのですね。

羽田:先ほどお渡しした名刺に当社のロゴが載っているのですが、とてもよいですよね。通常、ロゴなどは役員などで決めると思います。しかし、私はぜんぜん関与できていません。

今日隣にいる企画部の社員などがタスクフォースで勝手に決めて、「こうなりました」と報告されました。「ロゴなら普通、『社長、A案、B案、C案のどれにしましょう?』とかないの?」と聞いたら「ないです」と言われました。

morich:本当ですか?

羽田:「それならこのロゴは嫌だって言えるの?」と聞いたら、「時間がないから、そういう面倒くさいことはやめてください」と言われました。

morich:普通は役員会議などで一悶着ありませんか?

羽田:社外取締役にはわりと年配の方もおり、かわいい感じのロゴのため、一悶着はありました(笑)。「社員が決めたからとりあえずこれで。評判が悪かったらすぐ変えますから」と言って通しました。しかし、実際の評判はよかったです。

morich:とてもかわいいです。一瞬、なんの会社だろうと思ってしまいます。

羽田:私たちからすると、「エンジニアリング」「製造業」に対してこのロゴはかわいすぎるのではないかと思いました。

morich:製造業向けと聞くと、硬いイメージがあります。

羽田:上場しているため、階層的な組織でマネージしないとダメなのです。IRの情報も、プロジェクト管理もしっかりしていかなければなりませんが、そこを横ぐしで通していくような活動を、増やしていければよいと思っています。

morich:すばらしいです。やはり伸びている会社は活性化しています。社員が「これがやりたい」というWillをちゃんと言っています。

羽田:そうですね。私が「やりなさい」と言ったわけではありません。

福谷:社員が率先して取り組んだのですね。

morich:企業ロゴとなると、通常は偉い先生などに高い予算でお願いすることもあると思います。

羽田:予算はほとんどかかっていないです。

福谷:込められた思いは強いはずですよ。

morich:思いは強いですし、愛着もかなりあると思います。

羽田:A案、B案の提案は欲しかったなと思います(笑)。

福谷「これになりました」と言われたのですよね。

羽田:問答無用でした。

グローバルで勝負できる「自分たちにしかできないビジネス」を追い求めて

morich:羽田さんとしては、これから会社の何を強くしていきたいですか?

羽田:社長になって5年目ですが、「私たちの価値はなんだろう」と常に考えています。そこまで人数がたくさんいる会社でもなければ、売上が大きい会社でもありません。しかし、私たちにしかできないことに取り組んでいきたいと思っています。

それは自社の製品でも、他社の製品やサービスを使ってもよいのですが、やはり私たちにしかできないことをずっと行っていきます。また、これは私の個人的な思いですが、日本のIT企業は、外に行けていないのです。

ソフトウェアの競争においては0勝100敗で、1勝もできていません。これはやはり悔しいです。当社は海外にも展開していますが、まだ日系のお客さまが多いですので、グローバルに勝負できるものを作っていきたいです。勝負するのは製品でも、サービスでもどっちでもよいです。

morich:日本発のものはなかなかないですね。

羽田:製品やサービスにおいて、私たち以外にはなかなかできないものを作っていかないと、埋もれていってしまいます。

morich:「海外へ」というのは、羽田さんが強い意志を持って取り組まれているのですか?

羽田:そうですね。エンジニアリング会社から出たので、「海外に行く」とわりと平気で考えています。

morich:エンジニアリング会社は、普通に海外へ行きますね。

羽田:私がそのような土壌を持っていたということもありますが、私だけではなく、「海外にビジネスを」と言うメンバーはそれなりにいます。

morich:しかし、日本の製造業で生産管理では、すでに強いものはあるのではないでしょうか? ある意味ではブランド力と言えます。

羽田:おっしゃるとおりだと思います。このように言ってしまうとよくないですが、日本のお客さまは一番面倒くさいです。

morich:細かいと思います。

羽田:面倒くさいというよりも、要求レベルが高いです。そのレベルをクリアしたものを持っていけば、十分に戦えると思います。

ファイナンスなどの分野では難しいと思いますが、サプライチェーンの分野は、まだまだデファクトがしっかりできているわけでもありません。

morich:特にサプライチェーンに関しては、日本はとても先に進んでいますよね。

羽田:サプライチェーンやIoTの領域などで、グローバルに展開できたらいいなと考えています。グローバルというと、どうしてもマイクロソフトやGoogleなど、世界で活躍している会社がありますが、それだけがグローバルではないと思っています。

例えば、私たちの製品やサービスはタイやインドネシアで売れています。日本から見ると東南アジアは一緒くたにしてしまいがちですが、もちろん国ごとにまったく異なります。

国ごとに根ざした製品とサービスを現地のメンバーと一緒に作っていきたいという思いがあります。

福谷:すごいですね。これはまた株価が上がってしまいますね。

morich:製造業のサプライチェーンは本当にすごいです。それを支えていらっしゃったのだなと、今日あらためて感じました。

福谷:いつも真面目に聞いているのですが、今日は特に真面目に聞いてしまいました。

morich:最後に羽田さんのプライベートも含めて、人生のゴールといいますか、個人的な夢について教えてください。今日はパブリックビューイングで社員の方も聞いていらっしゃるそうですね。

羽田:パブリックビューイングで3人くらい聞いていると思います。

福谷:たくさん聞いていらっしゃいますよ(笑)。

羽田:日本や海外など、いろいろなところでいろいろな人とビジネスをしていきたいと思います。

個人的には、車がだいぶヨロヨロしてきたため、買えたらいいなという感じです。それこそ、先ほど話題に出た奥さんのチェックが入ります。今日聞いていたらどうしようかなと思っています。

福谷:「嫁ブロック」ですね。

羽田:その「嫁ブロック」が入ります。

morich:密かに聞いていらっしゃるかもしれません。

羽田:ほかには、学生の時から続けていたヨットですね。一時はやめていたのですが、ヨットを共同で持っています。

morich:これからは少し、ヨットで遊ぶ側に入っていただくのですね。

羽田:まだレースをしていますよ。

morich:レースをしているのですか? レースには相当な体力がいると聞きました。

羽田:そうですね。そろそろグラスを片手でクルクルまわすような、楽な乗り方にしようかと言っています。

morich:ブランデーですね。

羽田:しかし、なかなか癖が抜けず、「いつまでレースをやるんだ」という感じです。あまり大した夢はないのです。

morich:いえいえ、楽しみですね。

福谷:本当に真摯な方ですよね。

morich:海外で製造業が少し遅れてしまった分、進出していただいて、日本のエンジニアにはどんどん海外に出ていってほしいです。

羽田:製造業はデジタル人材の獲得が難しいと言われていますが、そのようなことはありません。今は高卒で採用したらデジタルネイティブなのです。おじちゃんの世代がわからないだけで、若い世代に任せればよいのです。そこは、あまり恐れる必要はないのではと思います。

morich:「ChatGPT」と言えない人もいます。「チャットGP」や「チャットGT」などと言うこともありますね(笑)。

羽田:「ガンマGPT」と呼ぶ方もいますね。そのようなおじさんもいますね。

morich:この間テレビで、ある上場会社の社長が「ガンマGPT」と言っていました。笑いを取っているのか、本気なのかはわかりませんでした(笑)。確かに、若い人たちにはどんどんスタートラインに立ってほしいです。

福谷:最近聞いたことなのですが、世界の時価総額ランキングがあり、日本ではトヨタさんや三菱系列の企業などが上位にランクインしましたが、100歳、105歳、50歳、60歳の方が社長や会長をしているそうです。

一方、アメリカの市場では、時価総額ランキングの1位、2位、3位にランクインしている企業の社長などは50代ですが、そこから下は全員20代なのです。

morich:そうなのですか?

福谷:20歳という人もいます。時価総額ランキングであるにもかかわらずです。これはアメリカと日本の企業における大きな違いだと思っています。これは、やはり挑戦だと思っていますね。

羽田:そうですね。しかし、若ければよいというものでもないのかもしれません。20代の頃に物心はついていましたか?

morich:ついていなかったです。

羽田:ついていないですよね。バブル世代ですからね。

morich:バブル世代ですから、毎晩遊んでいました。

福谷:先ほどおっしゃっていたようなかたちで、サポートをしつつも、任せるということですね。

羽田:生成AIなどは絶対にそれがよいです。

morich:あとはゲームチェンジで、ゼロリセットのタイミングなのかなと思っています。

羽田:インターネットの普及でゼロリセットになったのと同じようにということですね。ただし、インターネットの時よりもさらに大きなゼロリセットのような気がしています。

morich:もちろん積み上げたものの価値もありますが、今は経験だけではなく、発想などで価値を発揮できます。

羽田:そのとおりだと思います。

morich:そのような意味では、「どんどんやっていいよ」「やってみなさい」という会社ですから、「ぜひチャレンジしてください」という感じですよね。

羽田:明日いろいろな意見がたくさん出てきたらどうしましょうか(笑)?

morich:ありえます。エージェントが書き込むかもしれません。

福谷:それもありえるかもしれないですね。実はすでに1時間を少し過ぎてしまっています。

morich:本当ですね。すみません。

福谷:いつも1時間があっという間なのですよね。morichさん、今年はチャレンジしたいことがあります。

morich:なんでしょうか?

福谷:出張morichです。ここはスタジオですが、スタジオではない場所にゲストの方々をお招きしてみたいです。

morich:確かに、青空の下などで開催してみたいですね。

福谷:そのような企画もありですね。今日もオフィスの話が出ましたが、実際にどのような働き方をされているのかなどをうかがってみたいです。今年はそのようなことを1回、2回は挑戦したいと思っています。羽田さんのオフィスにmorichが行くというのも候補です(笑)。

morich:それはかなりおもしろいですね。行きます。中継します。

羽田:いいですよ。

福谷:そのようなすばらしい姿を撮っていきたいと思います。今日もいろいろなお話をうかがいました。すばらしかったです。

morich:羽田さんが社長をされている会社のお話をうかがい、日本の製造業の未来が明るくなった気がします。

羽田:いやいや、ぜんぜんです。

福谷:幼少期のこともお聞きしました。

morich:サッカー部ですね。

福谷:世に公開されていない情報が、これで公開されますね。

morich:実はヨット部に所属されていたこともですね。

福谷:今日もオーディエンスの方々がたくさん来ており、外にあふれ出ています。

morich:羽田さん、今回は本当にとても多いです。

羽田:ありがとうございます。

福谷:このあとは懇親会も実施したいと思っています。今日はすばらしいお話をお聞きしました。羽田さん、本当にありがとうございました。

morich:本当にありがとうございました。

羽田:ありがとうございました。